飯田線旧国1983−追記
飯田線荷電(クモニ83100・クモニ13)

飯田線には湘南色の80系クハ・モハ、戦前型旧国のほか戦後製の荷物電車が存在しました。クモニ83100番台とクモニ13です。クモニ83100番台は、湘南電車80系の郵便荷物車モユニ81から郵便室を撤去したもので、外観はモユニ81のそれを保っていました。クモニ13は、戦前17m級電車に戦後切妻箱型の荷物電車の車体を載せた17m級荷物電車です。

クモニ83100番台


クモニ13

クモニ83100番台とクモニ13は2輌で、荷物専用列車に、または2輌を他の旧国2輌に併結し4輌の混成編成に、またはクモニ83100番台単独で、2輌または4輌のほかの旧国(この場合クモニ83100番台側は荷物郵便合造車(クハユニ56など)が充てられた)に連結され3輌編成または5輌編成の混成編成で運用されました。これらクモニも他の飯田線旧国全廃とともに姿を消しました。

飯田線新性能化後の全国旧国状況

飯田線から旧型国電が去ったあと、旅客用として旧国が残った線区は、鶴見線大川支線(神奈川県)のクモハ12、富山港線(富山県)の72・73型、可部線の(広島)横川・可部間(広島県)の72・73型、小野田線の本山支線(山口県)のクモハ42でした。しかし何れの線区ももはや飯田線に保有輌数・バラエティ・運転距離で匹敵できる線区ではありませんでした。

可部線(広島)横川−可部間

運転距離が比較的長くそれなりの輌数・バラエティがあったのは、可部線の72・73型でしたが自宅からの距離があまりにもあったため一度だけしか訪れることはできませんでした。ここも頻繁に訪れることができればそれなりの深みはあったものと思われますが…。

可部線72・73型


可部線72・73型


可部線室内

ただ、戦前の各線区の代表的車輛が揃った飯田線の旧国と比べると、戦後生まれの4扉通勤電車であった72・73型は残念ながら魅力では及びませんでした。

小野田線本山支線

飯田線と車輛の価値的に張り合えたのは、小野田線本山支線のクモハ42で、これは飯田線でも最後まで活躍したクモハ43の両運転台版でした。

クモハ42005(昭和8年製!)


クモハ42005室内

飯田線の旧国はスカ色(青15号+クリーム1号)に塗られていましたが、ここ小野田支線のクモハ42は前面に警戒色の黄色こそ塗られていましたが基本的にはチョコレート色(ぶどう色2号)で、そういう意味では如何にも旧型国電っぽい色を保っていました。しかし、運転線区は僅か1駅。この僅かな距離での活躍は2扉クロスシート車のクモハ42にとっては完全に役不足でした。どこかで運命が狂って同じ両運転台車でも飯田線に3扉ロングシート車クモハ61が残り、小野田支線にクモハ42が残ってしまったようですね。お互い不幸だったかもしれません(クモハ61もクモハ40のまま小野田支線でぶどう色2号で活躍できてた方がゼロナナ・ゼロハチ等のスターが活躍した飯田線で脇役を演ずるより幸せだったかも…)。

富山港線

富山港線に残った72・73型は、可部線のそれよりより新しい、全鋼型とよばれる920番台で、新性能電車登場前夜に生まれた最後の旧型国電でした。富山港線では、スカイブルー(青22号)に塗られ素人目には一見、京浜東北線の103系のようでしたが(「鉄の目」ではどうみても103系ではありませんが…)釣り掛け駆動のれっきとした旧型国電です。


富山港線全鋼72・73型(クモハ)

富山港線全鋼72・73型(クハ)

ここも運転区間も短く、車輛も全鋼型の72・73型で面白みに欠けましたが旧国自体が壊滅状態となった飯田線新性能化後の状況では貴重な線区の一つでした。

鶴見線大川支線

鶴見線の支線に残ったクモハ12は、戦前製17m両運転台車で、施設の都合上(ホーム有効長が異常に短い)奇跡的に京浜地区に残った旧国でした。17m級の旧国は鶴見支線のほか至近の南部線支線(尻手−浜川崎間)にも比較的後年まで残りましたがこちらは飯田線などよりも一足はやく新性能化され101系に置きかえられました。鶴見支線は前述の通りインフラの問題で置き換え不可だったため、ずっと残りました。鶴見支線はかなり以前(まだ鶴見線に72・73が当たり前に走ってたころ)に訪れたことがありましたが、飯田線旧国全廃前後の時期には「どうせ無くならない(無くせない)」という考えとマスコミなどにも取り上げられややメジャー化していたので反発し敢えて訪れませんでした。

鶴見支線のクモハ12(昭和50年代前半に撮影)

写真撮影当時の鶴見線
その後、鉄から遠ざかったころ、やがていつの間にか線区自体の取り回しの見なおしの結果廃止されたようです。

新性能電車との併結可能荷電

飯田線旧国全廃当時このほかには、一部線区では、旧国の脚まわりを流用しながら新性能電車と併結できる(新性能電車を総括制御できる)荷物電車・荷物郵便電車、クモニ83(前述クモニ83100番台とは全く異なる)、クモユニ74などがまだ残っていました(ひょっとしたらクモユニ74はもうなかったかも)。

83/11当時東海道中京地区に残ったクモニ83が2輌で113系の先頭に立つ
(東海道線では東京口からは既にクモユニ74は姿を消していた)


やがて、各線区に残った旧国も次々と姿を消していったようですが、もはや鉄から遠ざかっていた時期に起こったことなので、それがいつのことなのかまったくわかりません。ただ、JR西日本にはまだクモハ42が残っているようですがそれがどういう使われ方をしているのか、まだ残っているのか、いずれも不明です。瀕死だった国鉄の合理化の為、運用終了次第ゼロナナ・ゼロハチをも含め潔く全車解体という散り方をしていった飯田線旧国の最期には美しささえ感じます(感傷モード)。

重量半分・価格半分・寿命半分という思想で造られている昨今のJRの電車状況を見ると50年前後に亘って現役で在り続けた旧型国電のような重厚な車輛は、二度と現われないでしょう。